「愛と幸せの関係性」父親を嫌いになったら彼氏が欲しくなった話

心のはなし

私は仲のいい家庭で育ち、両親と兄弟でいつも和気藹々と過ごしていました。
ところが、結婚25年目に父の不倫を原因に両親が離婚しました。

ミッドライフクライシス(男性更年期)の影響が大きかったと思います。
父の言動がかなり変わったんです。

私は離婚条件の話し合いに大きく関わっていましたので、父の人として理解できないような言動を目の当たりにしていました。

あまりに自己中心的で、理解力に欠け、深く傷つけられた家族のことを顧みず、喧嘩腰な態度をみて、私は父を嫌いになっていきました。でも、もしかしたら嫌いという言葉は正しくないかもしれません。

ミッドライフクライシスの原因となるホルモンバランスの影響が、父の言動を左右しているのは分かっていました。反抗期の息子がクソババアと言いがちなのと同じですよね。ホルモンが悪さをして、その人の性格までも変えてしまうことはあるんです。うちの父は、生物学的に何かが悪さをしていることは明らかな態度でした。

だから父が嫌いになったというよりも、自分の愛する父がいなくなってしまった感覚に近かったかもしれません。別人になってしまい、今までと同じような関係性を保てなくなってしまいました。

私は今まで恋愛に興味を持ったことがあまりなく、彼氏が欲しいと思ったことはありませんでした。
離婚の話し合いの中で男性の嫌な部分を見てしまい、これからも恋愛に興味を持つことはできないんじゃないかという不安もあったほどです。

でもふと、父への感情の変化を経験し数ヶ月が経ち、少し冷静になったころに、初めて「彼氏が欲しい」と思ったんです。これ、「愛と幸せの関係性」の核心をつく感情だったと思います。

少し考察してみますね。

父を信用できなくなったころ、なんとなく「私の人生から愛が1つ減った」という漠然とした感情に襲われていました。母にそれをこぼしたところ、「でもお父さんはあなたのことを愛さなくなったわけじゃないよ」と言われました。

そうなんですよね。それは分かっていました。父は、言動がおかしくなれど、子供への愛を失ったわけではないことは見ていればわかりました。それでも私は「愛が1つ減った」というぽっかりとした心の穴を感じていました。

この心の穴は「受ける愛」が減ったことではなく「与える愛」が減ったことによるものだったのだと思います。私は「父から愛されなくなった」ことではなく「父を愛せなくなった」ことへの虚無感を感じていたのです。

人は、愛することで幸せになるのではないかと思います。

愛されることももちろん幸せにつながります。でも、極端な例ですが、ストーカーに愛されたって嫌だし、後輩に崇拝されても別に幸せにはなりません。私の場合、父から愛されていることが幸せには繋がっていません。

愛されるということは、「この人を愛してもいいんだ」という安心感につながり、「人を愛することの礎」ができるから幸せになるんだと思います。結局、人を愛すること、愛を与える側であることに幸せを感じるのではないかと思うのです。

だから、私は父を愛せなくなったときに心に穴があいたように感じたんだと思います。そして、誰かを愛することでその穴を埋められると感じたのでしょう。これが恋愛に興味のない私が突然「彼氏が欲しい」と思った理由だと思います。

心置きなく愛せる誰かに出会いたいという衝動だったんですよね、きっと。

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