私は仲のいい家庭で育ち、いつも両親と兄弟と和気あいあいと過ごしていました。
ところが、結婚25年目、わたしが19歳のときに両親が離婚。父の不倫が原因でした。
ある時期から父は、人として理解できない言動をとるように。まるで人が変わったようでした。ミッドライフクライシス(男性更年期)の影響が大きかったと思いますが、これはまたべつの話。
離婚条件の話し合いにかなり深く関わっていたわたしは、変わってしまった父をみて「父が嫌いだ」と思うようになってしまいました。そうしたらあら不思議、恋愛に興味がなかったのに、突然「彼氏ほしい」と思うようになったんです。
この「父が嫌い」と「彼氏ほしい」の2つの感情のつながりは、
よく聞く「愛するか愛されるか、どちらが幸せか」という問いのわたしなりの答えを探すヒントになりました。
厳密にいうと、父のことは嫌いじゃない
離婚協議中、あまりに自己中心的で、理解力に欠け、深く傷つけられた家族のことを顧みず、喧嘩腰な態度をみて、私は父を嫌いになっていきました。
でも、もしかしたら嫌いという言葉は正しくないかもしれません。
父の言動が変わったのは、ミッドライフクライシス(男性更年期)によってホルモンバランスが崩れたせい。わたしは、この説明が一番しっくりくると思っています。
反抗期の息子がクソババアと言いがちなのと同じです。
ホルモンが悪さをして、その人の性格までも変えてしまうことはある。
うちの父は、生物学的な何かが悪さをしていると思っています。
反抗期が来ても荒れない子どもがいるように、ミッドライフクライシスが来ても普通でいられる人はたくさんいる。だけど残念ながら、うちの父は本性が表れてしまった。
「ホルモンのせい」と一定程度割り切っているため、父が嫌いになったというよりも、「自分の愛する父がいなくなってしまった」感覚に近かったかもしれません。
別人になってしまい、今までと同じ関係性を保てなくなってしまった。
昔の記憶にいる、笑い合ってたころの父はもういない。
わたしの記憶にいる父のことは、嫌いではありません。彼はもういないだけ。
突然「彼氏がほしい」と思った
わたしは今まで恋愛に興味を持ったことがあまりなく、彼氏がほしいと思ったこともありませんでした。
離婚の話し合いの中で男性のイヤな部分を見てしまい、これからも恋愛に興味を持てないかも、という不安も。今となっては、父のイヤな部分は男性に限ったことじゃないと分かっていますが、当時はそう冷静に考えられませんでした。
でもふと、父を「嫌い」になってから数ヶ月が経ち、少し冷静になったころに、初めて「彼氏がほしい」と思ったんです。
これ「愛するか愛されるか、どちらが幸せか」の核心をつく感情だったと思います。
少し考察してみますね。
わたしの人生から、愛が1つ減った
父を信用できなくなったころ、なんとなく「わたしの人生から愛が1つ減った」という漠然とした感情に襲われていました。母にそれをこぼしたところ「でもお父さんはあなたのことを愛さなくなったわけじゃないよ」と言われました。
そうなんですよね。分かっていました。
父は、言動がおかしくなっていても、子どもへの愛を失ったわけではない。
それでも私は「愛が1つ減った」というぽっかりとした心の穴を感じていました。
この心の穴は「受ける愛」が減ったことではなく「与える愛」が減ったことによるものだったのだと思います。私は「父から愛されなくなった」ことではなく「父を愛せなくなった」ことへの虚無感を感じていたのです。
人は、愛することで幸せになるのではないかと、わたしは思います。
愛されることももちろん幸せにつながります。でも、極端な例ですが、ストーカーに愛されたって嫌なだけだし、後輩に崇拝されても別に幸せにはなりません。
私の場合、父から愛されていることが幸せには繋がっていません。
愛されると「この人を愛してもいいんだ」という安心感につながり、「人を愛することの礎」ができるから幸せになるんだと思います。
結局、人を愛することにつながるから愛されたくて、愛を与える側であることに幸せを感じるのではないかと思うのです。
だから、私は父を愛せなくなったときに心に穴が空いたように感じたんだと思います。そして、誰かを愛することでその穴を埋められると感じたのでしょう。
愛する彼氏がいれば、その穴を埋められるかも。
これが恋愛に興味のないわたしが突然「彼氏がほしい」と思った理由だと思います。
心置きなく愛せる誰かに出会いたいという衝動だったんですよね、きっと。